先日、「かわいそう・・・」と無意識につぶやいて
友人にその言葉の裏にある感情に気づいてごらんと言われ、
内観していました。
そして、最近また誰かの発する「かわいそうに」という言葉を聞きました。
誰かが失敗した時、ひどい目に遭った時、「かわいそう」と言う人がいます。
言わないまでも「かわいそう」という感情をもっていることがわかります。
この言葉、人から力を奪ってしまう言葉です。
かわいそうと思うことは人を自分より下に見ていることであり
その人の力を信じていないということであり
その人の人生における成長の機会を見守れないということです。
私が「かわいそう」とつぶやいたのは、母のことでした。
うわ・・・と思いました。
まだ母と共依存している片鱗がチラッっと見えてしまったからです。
「かわいそう」は家族間や、
すごく親しい(と思っている)人に対して起こりやすいです。
つまり
「私がなんとかしてあげたい」「手を差し伸べてあげたい」という気持ちであり
それにより自分の空虚感、不安感を満たすことであり
自分の過去に起こった絶望感などの感情を
相手に投影(シャドウ登場!)していることでもあります。
「かわいそう」という時、自分が「かわいそう」なのですね。
「かわいそう」という感情をもつって、こんなにたくさんのことを無意識でやっているんです。
自分では「共感」していると思っていますが、これは「同情」です。
こういうふうに日常何気なく使っている言葉の裏に
どういう心理が働いているかを観察すると
自分がどこでとどまっているのかが見えてきますね。
私は人を目に見える部分だけで観ないように心がけているのと、
「死ぬ時に今までで最高の状態で死にたい」というビジョンがあるので
興味深い発見でした。
Anastasia
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