決まり文句のように
「恐れって実は愛なんです」
「自分の中の愛を感じましょう」って
自己啓発系、心理系の本やセミナーやブログで見かけますが・・・・
書いてる人が本当にわかっていて書いてるのか
思考の上で、もしくは誰かの言葉を借りて書いているのか
わかってしまう!
なので、それを見るたびに「モヤッ」ときます。
という私も目覚めたのが最近なので大きな声では言えませんが
「モヤッ」としたエネルギーを変換してブログを書きます。
そもそも感情ってただのエネルギーだから
「怒り」とか「悲しみ」とか「喜び」って名付けているのは
ただ、それが一番近いかな??という感じで名付けているだけ。
音にもドとかレとかミとか ミのフラットとかファのシャープってありますよね?
でも!
ドとドのシャープの間にはすごくたくさんの音があるわけで・・・・・・
ド寄りのドやドのシャープ寄りのドがあるわけで・・・・・
(この説明は音楽やってる人にしか伝わらない ごめんなさい)
音はエネルギー、そして感情もエネルギー
だから名付けることに無理があるんだけど、
便利だし、共有しやすいからみんな共通の言語を用いているのだろう・・・・
だけど人の心や意識をあつかうことをやっている人で
便宜上、感情を名付けていることに気づいていて
名付けられない感覚を感じながら
ブログを書き、本を書いている人は少ないのではないか?
というのが最近の感想。
例えば「恐れ」を「ああ、私は恐れを感じている・・・・」と言語化したとたん
感情が固定されてしまう。
それは量子が知覚されることで物質化するように・・・・
とは言え、誰かに「感情」というものを伝えようとする時には
言葉が必要になるのだけど。
それをわかっていて書いている、しゃべっているのと
「わかったふうに」書く、しゃべる では全然違う。伝わり方が違う。
頭で理解しようとせず、「あ・・・・怒りだ」と言葉になる前に感じてみると
反射的に言葉になってしまったとしても
後からでもいいからそのエネルギーを感じてみると
その瞬間に言語化ができなくなる・・・・・・・・・・
ということを体験してみてほしい。
すべては「愛」だ。って言うのは簡単にできるし
人って本能的、原始的にそれを知っているから、まったく伝わらないことはない
ないんだけど・・・・・・
すべては「愛」っていう
言葉じゃなくて
感覚が伝わるようにーーーーーーーーーーーーーー
そのためには書いている、しゃべっている人が
その感覚になっていることで
言葉に乗っかった熱が伝わるのだと
私は思う
Anastasia
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