本当の「ありのまま」とは

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あなたにとって「ありのままでいる」ということは

どんなことですか?


ありのままの自分でいるということは

自分に正直に生きることだという人は多いです。

「嫌いなものは嫌い!」とはっきり言うことだとか

 

つくり笑い、アイソ笑いをしないで自然体でいることだとか

 

そういうことが「ありのまま」だと??

私は違うと思います。

 

本当に純粋な子どもの頃の「ありのまま」を取り戻そうと思ったら

 
「嫌いなものは嫌い」とはっきり言う
→その「嫌い」の奥を見る

 

つくり笑顔をしないで自然体でいる
→なぜつくり笑い、アイソ笑いをするのか?

と、その奥にあるものを見ようとすることをしなければ。

「ありのまま」は見つけられない
そう思っています。

 

私たちはいつもどこかで自分を批判しているものです。

誰かとくらべたり、過去の自分とくらべたりしています。
それが「ありのまま」ではないということです。

「共存できないものがあると、ありのままのあなたでいられない」と

何かの本に書いてありましたが、

 

自分を批判するということは、同時に他者も批判しています。

しかし、自分の中の見たくない欠点や隠したいことを
まるごと認め、受け入れることで

他者をまるごと認め、受け入れられるということです。

私の例で言うと

私は自分が「権威的(他の者を服従させる威力)」

であることはわかっていました。
こうやって書くのも恥ずかしいのですが、

「権威的」なところはいちばん親しい家族の中で現れます。

 

でも私はその性質が嫌い・・・というか良くないものだと思っていたので

 

人前では努めて

「同じ目線で」「気楽に・気軽に話せる」存在になろうと努力していました。

なのでしょっちゅう「権威的」な人物と出くわすことになりました(笑)

私がこの「権威的」な自分を受け入れるまでは、

赴任する学校では必ず学校長が「権威的」な人だったのです。
そして私は必ずその権威的な学校長に反発してきました。
今思うと笑ってしまいます(笑)

 

でも、人の心理や意識のしくみを学ぶ中で
やっと自分の影に気づいたのです。

 

「権威的」な私だからこそ、クラスを引っ張ってこれた。

「権威的」な私だからこそ、生徒達に迷いや混乱が生じなかった。

「権威的」な私だからこそ、「いじめ」で崩壊することがなかった。

私自身が嫌いで、隠したいと思っていた私の部分にこんな長所があったとは
あらためて驚き、心が解放されたかのように感じました。

光が当たったのです。

 

このようにして私たちは分離していた自分の一部を取り戻すことで

パワーを取り戻していきます。

私の例でいくと、次に赴任した学校ではもう「権威的」な学校長はいなくて

その代わりに「威厳があって尊敬できる」学校長ばかりに出逢いました。

 

「うちの上司は最高!」と出張先で自慢することも多々ありました。

 

現実が変わったというわけです。

 
特に人と直接関わる仕事をしている方(お父さん・お母さんも含めて)は、
「ありのまま」の自分でいることが非常に大事です。

自分をまるごと受け入れていない人に

他者をまるごと受け入れることができないからです。

 

これは口で言うのは簡単ですが、実は簡単ではありません。

でも、「自分と向き合うことをやめない」人は

導きとひらめきが訪れるはずです!

 

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むかい ゆか
5,000人以上の生徒・保護者と熱く生きたもと中学校教諭。 自己宙(世界はすべて自分が創っていること)に気づいてからは思ったことが100%現実化している。 プロフィールはこちら
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