天使になった吉岡奏恵ちゃん

Facebookやtwitterで広がっていた

吉岡奏恵ちゃんは、悪性ラブドイド腫瘍で闘病中でした。

Facebook

私はコミュニティに入ってずっと応援していました。

私の娘と1ヶ月違い。

それだけではなく、奏恵ちゃんにはみんなが魅かれる魅力があったんです。

奏恵ちゃんのお母さん、この方が素晴らしい方で、

とても慈愛に満ちていて

「奏恵の1分1秒のためにベストをつくす」という覚悟のようなものが

痛いほど伝わってきました。

「愛する」ことをみんなが教えてもらいました。

その奏恵ちゃんが、7月15日にお空に帰りました。

もう泣けて泣けて、毎日涙が止まりませんでした。

それはコミュのみんなも同じだったようで

亡くなった後も投稿が途絶えることがありませんでした。

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私は何度も考えました。

「奏恵ちゃんはこの家族のもとに生まれて最高に幸せだったよね」

と前向きに思える日もあれば

「1歳3カ月でお空に帰った奏恵ちゃんの

この世での使命とは何だったんだろう」

と、何故こんなに小さな子が・・・

と悲しくてやりきれなくなる日もありました。

なにかに救いを求めたくて

数秘術で奏恵ちゃんの使命を見てみたんです。

奏恵ちゃんのディスティニーナンバーは「9」でした。

このナンバーが「9」の人は

「すべての人が幸せになりますように」と願います。

まさに「世の中の為になること」を使命として生まれてきた

ということ。

また、無私無欲で「自分」を世界に溶け込ませるほどに

全体性の中で生きていこうとします。

「自己犠牲」というキーワードもあります。

そうか・・・・

まさにそうだったんだ。

いや、そうなんだ。

奏恵ちゃんは今でも世の中の人々に

勇気を与え

生きる喜び、そして

無条件の愛と癒しを教え

感謝の気持ちを忘れないように導いています。

1年と4ヶ月に満たない自分の人生を通して・・・

これを知った時、私はまた涙ぐみました。

そして、奏恵ちゃんは自分の使命をちゃんと果たして

お空に帰ったのだなって思ったら

悲しみや寂しさが薄らいで

感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ありがとう・・・奏恵ちゃん

また会う日まで・・・・・。

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Anastasia

Anastasia

7,000人以上の生徒・保護者と熱く生きたもと中学校教諭。 今まで思いえがいたことは100%現実化している。 プロフィールはこちら
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