「私」って何だと思いますか?
物ごころついた時から私たちは「私」と一緒に居ますが
それまでは「私」という概念がぼやっとしていたように思います。
実際、2歳の娘を見ていると
私は女の子だとか
私は2歳だとか
私は〇〇〇っていう名前だとか
彼女にとってのそれらは
言葉にすぎないように思います。
「私は2歳だよ。私は〇〇という名前だよ」って
教えれば答えますが、それは自動的に反応しているだけのことで
「私」が何なのか、どこに存在しているのかはまったく自覚してないような状態です。
またここから不思議話ですが
私は、眠っている時に体から抜け出して、
部屋の上から自分が寝ているのを見たことがあります。
一度目は部屋の上からだったのですが
二度目は地球を宇宙から見ました。
すごくきれいでした。
夢だと言ってしまえばそれで終わりなのですが
明らかに夢とは違ったのでしっかりと覚えています。
その時からです「私」っていう意識は体にあるものではない
とわかったのは。
ここにも書いたのですが
「自信」=自分を信じること
=ただ自分の存在を認めること=ただここに在ると感じること
これは私の仮説であり、
ホリスティックヴォイスのもとになっている概念のひとつです。
その仮説でいろんなことを発信しているわけですが
最近わかったことの中に
「私」というのは「枠組み」
だということです。
ただの枠組みね。
ここにも書きましたが
「私」だと思っていることって
すべて何かとの関係性の中でしか形づくられないのです。
だって「私」だけがただ在るとしたら、
どうやって「私」を語ればいいのでしょう?
例えば
「私は女性です」
⇒男性がいるから女性という概念が生まれる。男性だけなら「人間だ」になる。
「私は明るい性格です」
⇒家族や友人、出逢った人がいるから「私は明るい」と思うことができる
「私」一人で存在しているのだとしたら
そういう概念も存在しませんし、それを感じることもできないのではないでしょうか?
ということは
「私」だと思っている性格や個性って
すべて幻想じゃないですか???
だってその時々でコロコロ変わるんですよ。
会社でプレゼンしてる時と家で家族とテレビ見ている時
恋人といる時と弟といる時
学校や会社のリーダーとしての私と実家でくつろいでいる時の私
強い⇔弱い
明るい⇔暗い
優しい⇔冷たい
など、「言葉」で無理やり表現すると
ニュアンスを伝えるのは難しいですが
性格や個性は必ずしも一定ではないことに気づきます。
その人のクセ
その人の反応
その人のパターン
ではないでしょうか??
このようにコロコロ変わるし一定ではないのが
性格や個性や思い込み(信念・観念)ですが
これらが自分の人生を形づくっている
ということに気づくと軽視はできませんよね。
暗い性格だったから⇒友達が少なかった
努力家だから⇒難しいテストで100点が取れた
負けず嫌いだったから⇒リレーの選手だった
浮気症だから⇒習い事が続かない
など、「性格」(だと思っているもの)が現実につながっている
のではないでしょうか?
そして、これは 性格だから、運命だから
どうすることもできない
と思っていませんでしたか?
自覚は無くても無意識でそう思い込んでいるから
現実がそうなっているんですよね。
つまり
すべては「私」が鍵を握っています。
みんな「私」という枠に入っているのです
これは文字通りただの枠です。 しかも自分が創った枠なのです。 |
じゃ~~~
その「枠」を超えてやろうじゃないですか!\(^o^)/
私、むかい ゆか は
いつも「私」の枠を超えることで人生を変えてきました。
変わらなくていい・・・という人は変えなくてもいいのですが
(選択していいのです)
今よりさらに楽しくなりたい、幸せを感じたい、誰かを幸せにしたい
と望むのなら
イチバン早いのが
「私」の枠を超えることだと思います。
ということで
メルマガを始めます
Anastasia
最新記事 by Anastasia (全て見る)
- 娘の変化「勉強しすぎじゃない?」 - 2024年8月20日
- 家族のダメダメは私の投影だった - 2024年8月14日
- 夫の仕事トラブルと娘のダメダメっぷり - 2024年8月13日
コメント